看護師夫婦。「分かり合えるはず」が、いちばん苦しかった。夜勤、子育て、家事、そして毎日の愚痴。同じ仕事だからこそ生まれる夫婦のすれ違い

「夫婦で看護師なんです」

そう話すと、

「お互い仕事の大変さが分かっていいね」

と言われることがあります。

確かにそうです。

夜勤のしんどさも分かる。

急変があって定時で帰れないことも分かる。

病棟の人間関係が面倒なのも分かる。

勤務が終わった頃には、人に優しくするエネルギーなんてほとんど残っていない日があることも分かる。

でも、夫婦ともに看護師をしていて思います。

「分かる」と「受け止められる」は、まったく別の話です。

むしろ同じ看護師だからこそ、

「それくらい分かってよ」

「こっちだって疲れてるよ」

そんな小さな気持ちが積み重なっていくことがあります。

目次

  1. 「夫婦で看護師なんです」
  2. 休みなのに、一緒にいない
  3. 「今日、どっちが休む?」
  4. 無言で残された食器を洗う夜
  5. 家に帰って最初の言葉が「今日さぁ……」
  6. 「解決したい僕」と「ただ聞いてほしい妻」
  7. 看護師夫婦だからこそ、「察して」をやめる
  8. 病院で誰かを支えている二人だからこそ

休みなのに、一緒にいない

看護師夫婦は、交代勤務同士です。

僕が休みでも妻は日勤。

妻が休みでも僕は夜勤。

夜勤明けで帰ってきた頃には、妻は仕事へ向かっている。

同じ家に住んでいるのに、勤務表を見ると、

「今月、家族全員で過ごせる日って何日あるんだろう」

と思うことがあります。

だからこそ僕たちにとって、

夜勤前や夜勤明けを、どうやって「ちゃんと休暇として楽しむか」

はすごく大切でした。

夜勤前だから何もしない。

夜勤明けだから一日寝て終わり。

もちろん、それが必要な日もあります。

でも、それを繰り返していると、仕事のためだけに生活しているような感覚になってしまいます。

看護師として働くために人生があるのではなく、自分たちの人生の中に看護師という仕事がある。

これは忘れたくないと思っています。

「今日、どっちが休む?」

子どもがいると、さらに難しい問題が出てきます。

朝、子どもが発熱している。

夫婦で勤務表を見る。

「今日、どっちが休む?」

できるだけ勤務時間が短い方が休むようにしていました。

ただ勤務形態的に僕の方が長い時間の勤務が多かったため、

妻に休みを取ってもらうことが多かったのですが、

僕「ごめんけど、休んでもらってもいい?」

妻「この前もこっちが休んだんだから、今日はそっちが休んでよ!」

と言われ、病棟へお休みの電話をする。

電話先の上司からは、

「えー、今日人少ないのに・・・。まあ言っても仕方ないわね。何とかするわ。お大事に。」

と言われ、申し訳ない気持ちがつのる。

休むと決めても気持ちはスッキリしません。

でも目の前には、体調を崩した我が子がいる。

子どもが体調を崩したときの『どっちが休む?問題』は

どの家庭でも共通の悩みかもしれませんが、

看護師は特に、人に迷惑をかけたくないという気持ちや、自己犠牲が染みついているのかもしれません。

無言で残された食器を洗う夜

残業を終えて家に帰る。

クタクタです。

キッチンを見ると、食器が残っている。

洗濯物も残っている。

妻も疲れて寝てしまったのでしょう。

分かります。

分かるんです。

でも心の中では、

「俺も疲れてるんだけどなぁ……」

と思ってしまう。

そして何も言わず、静かなリビングで一人で食器を洗う。

たぶん、こういう小さなことなんです。

大喧嘩するほどではない。

相手を責めるほどでもない。

でも、

「自分の疲れは誰が分かってくれるんだろう」

という小さな寂しさが残る日もあります。

家に帰って最初の言葉が「今日さぁ……」

そして、僕が結構しんどいと感じていたのが仕事の愚痴でした。

帰ってくるなり、

「今日も○○さんにイライラした」

「もっとこうすればいいのに」

と始まる。

僕としては、

まず「ただいま」「おかえり」じゃないの?

と思ってしまう。

もちろん愚痴を言うこと自体が悪いとは思いません。

家くらい、本音を吐き出せる場所であっていい。

ただ、話せば話すほどイライラのボルテージが上がり、その空気が僕や子どもたちにまで向いてしまうと、さすがにつらくなります。

職場で受けたストレスを、家族が引き受け続ける家庭にはしたくない。

そう思いました。

「解決したい僕」と「ただ聞いてほしい妻」

そして看護師同士だからこそ、もう一つ難しいことがあります。

妻から職場の人間関係について聞いていると、

「こうしたら少し変わるんじゃない?」

と思うことがあります。

そこでアドバイスすると、

「別にアドバイスしてほしいわけじゃない。ただ聞いてほしい」

と言われる。

僕としては、

「じゃあ、この時間は何だったんだろう」

と思ってしまうこともありました。

僕にだって仕事のストレスはあります。

自分だって話したいことがある。

それでも相手の話を聞く時間をつくっている。

だから、ただ同じ愚痴を繰り返すだけではなく、

「じゃあ次はどうする?」まで考えた方が前に進めるのではないか。

そう考えていました。

でも今思うのは、ここには「正しい・間違っている」ではなく、夫婦で求めているものの違いがあるのだと思います。

一人は「解決したい」。

もう一人は「共感してほしい」。

ここを確認せずに話し始めるから、すれ違ってしまう。

だから、

「今日は聞いてほしい?それとも一緒に考えてほしい?」

この一言があるだけでも、少し変わるのかもしれません。

看護師夫婦だからこそ、「察して」をやめる

同じ看護師だから、分かってくれるはず。

疲れているのを察してくれるはず。

家事をしてくれるはず。

話を聞いてくれるはず。

でも、

「分かってくれるはず」が増えるほど、「なんで分かってくれないの?」も増えていきます。

だから理想は、何でも分かり合える夫婦ではないのだと思います。

疲れていたら「今日はしんどい」と言える。

愚痴を聞いてほしいなら「10分だけ聞いて」と言える。

アドバイスが欲しいなら「どう思う?」と聞ける。

家事ができないなら「今日はお願いしてもいい?」と言える。

そして余裕がある方が、少し多く支える。

翌日は逆でもいい。

50:50を毎日守るのではなく、二人で100になればいい。

そんな関係でいられたらと思います。

病院で誰かを支えている二人だからこそ

看護師夫婦には、確かに大変なことがあります。

夜勤もある。

すれ違う。

子育てもある。

家事もある。

お互い仕事のストレスも抱えて帰ってくる。

でも、同じ仕事だからこそ分かることもあります。

患者さんのために走り回った一日。

急変対応を終えたあとの疲労。

人間関係で心をすり減らした日。

だからこそ家では、

相手を「もう一人の看護師」としてではなく、大切な家族として迎えたい。

まずは、

「おかえり」

「今日もお疲れさま」

そこからでいい。

病院でたくさんの人を支えている二人だからこそ、

家に帰ったときくらい、お互いが安心して力を抜ける存在でありたい。

この記事で伝えたいのは、

「看護師夫婦なら分かり合える」ではなく、「分かり合えないことがあるから、言葉にする」ことの大切さです。

仕事も、子育ても、夫婦関係も完璧じゃなくていい。

仕事のために家族が疲弊するのではなく、

「看護師を続けながら、この人と家族でいてよかった」

そう思える生活を、二人でつくっていけたらいいのだと思います。

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